敗戦


  すべては春の淡雪のように消えてしまった。ハーロックが今、しなければならないのは、ひとりでも多くの人間を空間植民地から地球へはこぶ事だった。みじめな引揚船だった。

  このボロ船にふさわしい古い小型の波動エンジンは、限界までの出力でぶっとばしつづけたために、いまにもすりきれそうな、あまり快適でないノイズを船内にまきちらしていた。

 「壊れるがいいさ、どうせこれでおしまいだ」

  ハーロックは半壊した船橋(ブリッジ)に立ちつくしてもうずいぶんと長い時間、前方をにらんでいた。硬化テクタイトのひびだらけの風防に、自分の顔が映っていた。

 「夢にも思わなかったな……」

  ハーロックは、自分の顔に向かってつぶやいた。映った顔も、じっと向う側からハーロックの目を見つめていた。やけに老(フ)けて見えた。

  深紅(シンク)の制服と黒いエリが、それでも前方の闇にとけ込まずに見えた。ハーロックは、その黒いエリをなぜた。

 「実戦章(ジッセンショウ)か……」

  その黒は、長い空間戦での真の勇者にだけ与えられた名誉の証明だった。その黒をつけて歩く男を見れば、誰もが目を輝かせ、無限の尊敬の念を面(オモ)に浮かべたものだ。

 「つかのまの夢か……」

  ハーロックはゆっくりと、このみすぼらしい船の船橋(ブリッジ)を見まわした。

  彼がついこの間まで踏みしめていた、あの重厚で壮大な空間戦闘艇の船橋(ブリッジ)は永久に消えてしまった。

  きらめく銀河の中を、無限につづくかと思われるほどの隊列を連ねて、多くの若者の青春の夢といっしょに駆けめぐった、あの大艦隊も、未来永劫(エイゴウ)に消えていってしまった。

  終ったのはつい二週間前だというのに、ハーロックにはもう何年も昔の事のように思われた。今やすべてがむなしかった。

  腰に手をあてた。中身のないホルスターが手にふれた。中身を今ごろどんなやつがみがいているのかと思うと、頭に血が昇った。

  ハーロックは生まれてはじめて丸腰になったのだ。

  モニターに船室各部をつぎつぎ映して見た。どの船室(キャビン)にも疲れきった人びとが充満している。シャワーなど、とっくにつぶれてしまっている。異臭がモニターを通じて漂(タダヨ)ってくる ようだった。

  おそらく全員が、希望に胸をふくらませて空間植民地へ入植しただろう。そのあげくの果てがこれだ。何もなく、からだひとつで人口過剰の地球へ帰るのだ。

  ハーロックはモニターが涙でかすむのを見た。彼のほかに誰も船橋にいないのが救いだった。

  一八七二名、それが彼のはこんでいる乗客の数だ。


  乱暴な着陸だった。もともとこのタイプの船は安定性に問題があったが、それだけが原因ではなく、ハーロックの感情のせいだった。二、三人の乗客が前歯ぐらい折ったかもしれないが、 それよりも何よりも、この船を壊してしまいたかったのだ。

  彼の望みどおり船は再起不能となった。

  船橋を降りると人混みにまぎれて船腹の昇降口に向かった。

  目の前で、見るからにきゃしゃな女が通路のつなぎ目につまずいて転倒した。思わず手をのばしたハーロックに向けられた女の目には、はっきりと憎悪と侮蔑の色が浮かんでいた。

 「さわらないでよ!!」

  女の大声で、まわりの者がハーロックの存在を認識した。彼の立場や身分に気づいた。

 「黒いエリか、実戦章だな。どこでおまえ、それをもらったんだ?」

  中年の太っちょが頭に汗を浮かべて言った。

「どこかの星で酒でも飲んでたんでしょうよ、ロクでなしが!!」

  やせた女が毒づいた。

 「おまえのせいだぞ!! おれたちがこんな目にあうのは!! よく生きていられるな、はずかしくないのか」

  さっと人垣が開いて光が射し込んだ。グリーンのスマートなユニホームを着た敵がひとり現れたのだ。正確にいうと、この前までの敵なのだが、彼にとってはまだ終ってはいない現実の 敵なのだ。戦いは終っても敵意は消えはしない。長く激しくつらい戦いだったのだ。多くの友人たちが死んだ。恋人も家族も死んだ。開いた昇降口から見える地表は赤茶けて荒廃しており、 都市の残骸がねじくれてかすんでいる。

 「おけがはありませんか」

  敵は外宇宙なまりの言語をあやつって、起き上がろうとしている女に声をかけると、長い手をさしのべた。

 「いいえ、大丈夫ですわ」

  うって変ってしおらしいアクセントで女は応えると、ナヨナヨと敵に助け起こされた。

  敵の顔は笑っていた。ピンクの肌がグリーンのユニホームの上でいやらしく浮き上がって見えた。金色の歯が薄いくちびるの間から光ってのぞいていた。

 「ほかのやつらはみんな降りた。きみが最後だ。輸送司令の所へ出頭しろ」

  それは頭に突きささるような声だった。声というよりも脳波がじかにとびかかってくるような感じだった。

 「いいえ、大丈夫ですわ……か。くそったれが」

  へどが出る思いでハーロックはつぶやいた。

  奇妙に白くなった滑走路が、陽の照り返しでまぶしかった。よく見ると無数のひび割れが網の目のように広がっていた。

  そう、ここも息の根が止まるまで何発も何発もくらったのだ。その時の高熱のために、ガラス状のプールがあちらこちらに出来ていた。

  たしかに終ったのだ、何もかも。今この地球に生きているのは、空間植民地からの引揚者だけなのだ。

 「ハーロックか……ご苦労だったよ。もうきみのする事は何もない。何ひとつだ。どこへでも失(ウ)せろ」

  輸送司令はこれまた、例のカン高い声をハーロックに投げつけた。地球のものとは、組織も編成もちがうので、この男……そう、たぶん男にちがいない司令の階級も身分も見当が つかなかったが、おそらくこの男は長い間他人を詰問したり尋問したり、白状しろと責めつづけてきた立場にあるのだろう、特有の汚ならしい犬のような目つきをしていた。

  こういうのは地球にもたくさんいた。みんな死んでしまっただけだ。

 「今日の食券は支給する。明日からは自分でなんとかしろ」

  司令はそういうと、とがったアゴをしゃくった。そこには同じグリーンのユニホームを着た女が座っていた。

  女はあまり見た事がなかった。ハーロックはしかし、このピンクの肌の女が、心惹かれるほど美しいのに当惑した。

 「食堂は昔のままの所だそうです……ハーロック」

  地球の女とあまり変らない声だったが、気品があった。

  彼女は小さなプラスチックに似た材質で出来たコインをさし出した。食券だった。

  この女にしろ地球の女にしろ、生き残った地球の男には無縁のものになるだろう。

  勝者にすべてがなびくのは、歴史がすでに証明している。敗れたのだ。


  食堂はごった返していた。一歩踏み込んだハーロックは、思わず腰のホルスターに手をやった。食堂中が敵のグリーンのユニホーム一色に見えた。

 「おや、こいつ実戦章をつけてるぞ」

  青二才のピンクの顔が金色の歯をムキ出していった。

 「たぶんわれわれの船にカスリ傷でもつけてもらったんだろう」

  もうひとりのピンクの顔がいった。これも青二才だった。ハーロックのホルスターに武器がある時に出会っていたら、ものをいう間もなく、そのピンクの顔は消しとんでいたにちがいない。 実戦章とはそういう男がつけているものなのだ。

  このエイリアンどもとは、種の起源がまったくちがった。それなのに混血が可能だし、食べものの趣味が似ていた。うまいものは地球人もこいつらも同じだった。そこに悲劇があったのかも しれない。

  コインもどきを投げ込むと、パンとステーキに似たものが出てきた。食欲はまったくなかった。あざけりの視線や言葉にかこまれながら食事する趣味は、ハーロックには昔からない。

  ふとハーロックは正面に自分と同じ深紅を見た。よごれてはいるが、まぎれもなく深紅のフライトスーツだった。しかも黒いエリの実戦章をつけていた!! 勇者のひとりなのだ。

  勇者にしてはからだも小さく、おまけにぶ厚い人工テクタイトのメガネをかけていて、とても戦闘に向いている男には見えなかったが、フライトスーツは本人のものにちがいなく、ぴったりと 身についていた。借り着ではこうはきまらないものだ。

  その男はわき目もふらず、黙々とひと口ひと口かみしめながらのみ込んでいた。皿をにらむテクタイトのレンズの奥の小さな目に無念の想いが燃えているのがわかった。ハーロックは自分が 涙もろい事を後悔した。胸に熱いものがこみ上げてきたのだ。

 「そうだ、今はだまって食うしかない。それだけだ。おれたちは亡びたわけじゃないからな」

  そう自分にいいきかせなから、フォークを口にはこんだ。冷却と加熱を百回ぐらいくり返した肉のように味も何も感じなかった。

  すこし気が落ちついてから見ると、エイリアンどもの中に多少は見なれた地球のコスチュームがまじっているのに気づいた。

  女だった。申し合わせたように喜々としてピンクの顔によりそっていた。しなだれかかり、はしゃいでからまっていた。

 「あいつらを守るために戦っていたなんてな」

  日本語なまりの言葉が近くでした。見上げると、実戦章をつけたあのメガネの男が目の前に立っていた。立っていても視線はそう上には行かなかった。小さいのだ。

 「泣くな」

  そういうと、そいつは飲みかけのボトルを一本、ハーロックのテーブルへおいて出て行った。

  つい、そいつの胸の内を思って涙ぐんだのにと考えると、変な気もしたが、置いていったボトルを見て、また涙が出そうになった。まぎれもなく、かの有名な日本産のサケのボトルだった。 生涯に一度、口にする事が出来るかどうかわからないとまでいわれる幻のアルコール性飲料水がボトルにはまだ半分以上はいっていたのだ。

  ハーロックにはもう、からみ合う女とエイリアンどもの姿など何も見えなかった。やっと自分を完全にとりもどしたと感じた。


  月が出ていた。昔と変らない月だが、実際はクレーターがかなりふえ、船の残骸や死体が無数に散乱する墓場だ。ハーロックはよく知っていた。少し酔っぱらってしまったようだ。

  アルコールがからだにまわると、ホルスターが空なのがやたら気になった。エイリアンどもの監視がゆるやかなのも、武器がない事がわかっているからなのだが、それでもハーロックは ホルスターの中身を没収されたのが腹立たしかった。

 「あれさえありゃあなあ、ちくしょう!!」

  アルコールのせいで考える言葉が下品になった。ついこの間までは下品だの上品だのいっている場合ではなかった。戦い、破壊し、空間をエネルギーがとびかった。

  そして総くずれ、裏切りと不運と、そして何よりも、ピンクのエイリアンどもの一歩先んじた進化のせいだった。ピンクの肌のエイリアンどもの女も、伝説のとおり美しかったし頭もよかった。 すべての能力が地球を上まわっていただけの事だ。

  『デベーズドダドード』‐長ったらしく、濁点だらけの、これがエイリアンどもの正式の呼び名だった。誰もフルネームで呼ぶ者などなく、『デベ族』が通称だった。

  『ザズ』‐これが彼らが地球人をさしていう名まえだったが、ホンヤクすると『サル』という意味だから、おたがいさまである。

 

 「信じるのか?」

  ハーロックは、月を見上げている実戦章のメガネに聞いた。

 「おれは単純なんでね」

  メガネの答えはとぼけていた。少し頭が弱いのかとも思ったが、実戦章をつけているし、本物の酒ももっていた。

  ゲートの所でメガネは彼を待っていたのである。そしてささやかな抵抗計画をもちかけたのだ。からだに似合わず言う事は勇ましかった。酒に酔っぱらっているせいかとも思ったが、自分も 酔っぱらっているのだからお互いさまだ。

  一番上等な船を一隻、乗っ取ろうというのだ。もちろんピンクのエイリアンどもの武装艦をである。

  人影がひとり近づいてきた。意外にもシルエットは女だった。ハーロックはまたしても反射的にホルスターに手をやった。女の肌はピンクだったのだ!!

 「食事はどうでした、ハーロック」

  女は笑っていた。司令室でコインを渡してくれた女だった。

 「保管庫で見つけ出すのが大変だったのですよ。あなたがたの登録ナンバーと照合するまでひと苦労でした」

  女は二人に銃をさし出した。ハーロックのほうにさし出されたそれは、まぎれもなく彼の空間竜騎兵拳銃(コスモドラグーン)だった。

 「わたしはシヌノラ、さあ、また仕事にかかりましょう。目標は一番左端の中型船……性能は十分」

  ハーロックはわけがわからなくなりかけていた。ただ彼を行動に駆りたてたのは、手にしたコスモドラグーンだったのかもしれない。いく度となく、ともに死線をくぐり抜けてきたその小さな 武器が、本能的に主(アルジ)の動きをさそったのだ。

  事は簡単だった。敵などいるはずもないと信じきっていたエイリアンどもは誰ひとり気づかず、ドラグーンの音のない破滅的な一撃の前に消滅していった。

  船橋(ブリッジ)は捕獲船でよく見たデベ族の船特有の洗練されたデザインの配置になっていた。

  しかも新品だった。


  大混乱が起った。地上にいた船がつぎつぎと爆発を起した。勝利に酔いしれていたエイリアンどもは、腕にしていた地球の女の悲嶋とともにけしとんだ。やり方はきわめて荒っぽかった。

  まるで存在するものすべてが敵ででもあるかのように、その船は暴れまわった。

 「もう行こうよ、ハーロック」

  メガネがいった。

 「ひとつ聞いておきたい事があるが……」

  ハーロックは自分のうしろに立っているシヌノラにいった。

 「何を?」

  シヌノラは横にまわって隣の席に座った。グリーンを脱ぎすて、純白のコスチュームに変えた彼女の肌が、白とよく合ってまぶしかった。

 「なぜ手をかした?」

  ハーロックは本気で聞いているのだ。

 「あなたたちの腹にある火を感じたから……それが原因……」

  シヌノラはハーロックの目を見ながら、ゆっくり低くしゃべった。カン高いデベ族の男たちの声とは対照的だった。

 「目的は?」

  ハーロックは少ししつこかった。

 「時がきたらいうわ。今は生きのびる事が先でしょう」

  そういわれるとそうだった。操船の指示はシヌノラがした。もう二度と出る事はないと考えたばかりの地球が、空間転位航法にはいると一瞬にして小さくなり、消えた。

 「どうでもいい。あの星に命をかけるようなものは何もない……」

  ハーロックは、引揚船上の女の言葉や目の色を思い浮かべていた。

  地球が破滅する原因はずっと以前から内部にもあったのだ。おそらく、エイリアンだけでなく、生き残った……自分が送りとどけた地球人たちも、これ以後執拗に追いかけてくるだろう。 守るべきものは、自分と同乗しているあとの二人だけだ。なんと気楽な、旅の始まりなのだろうか……。今まで失ったと考えて悔やんでいた人生が、朝のうちの短い時間、陽の出とともに ゆらめいたつかの間の陽炎(カゲロウ)のように思えた。

  何もかも今始まったばかりなのだ。軌道は見えないし、どこへ行くのか見当もつかないが……。

 「おまえ、なんという名だ?」

  ハーロックに答えたのは軽い、いびきだけだった。

  シヌノラがだまってそいつのメガネを手にしてみがいていた。メガネをとったそいつの目は、信じられないほど小さかったが……生まれてはじめて、ほんとうの親友が出来たと感じた。 起きたら実戦章をもらった原因を聞いてみようと思った。

  三人にとっての、朝の陽炎は消えた。終りのない旅の始まりである。


第一章:敗戦 第二章:逃亡 第三章:出発 図書館へ