逃亡


  あれ以来、局長はやたらにきげんが悪かった。無理もない、責任を取らされて、このままだと、死ぬまでこの辺地(ヘンチ)の輸送局長としてここに押し込められたままになる可能性も あるのだ。

  辺地……そうこの地球という名のさえない惑星……。

  その恐怖にさえ目をつぶれば、汚れて荒れ果てた地球での征服者としての地位はまことに快適であった。

  早い話が、指一本動かさなくても、アゴをしゃくるだけで、ドロラムのコップが手元へやって来るのだ。おびえたようにおどおどした、何か媚びるような目つきをした地球人の女が、もし 命令すれば口へまでそれを注ぎ込んでくれるだろう。しかし、気が滅入(メイ)った。

 「畜生め、よりによって第一機密に属する船をかっぱらいやがるとは、くそニクたらしい盗人(ヌスット)どもが!!」

 「乗り逃げした地球人の身元が割れましたが……」

  転送話器から地球人の初老の調査官のビクついた声がして、立体映像が机の上に浮かんだ。背の丸まった貧相な体格の男だった。

  局長のピンクの顔色が怒りでドドメ色になった。

 「転送話器で報告するとは!! 貴様自分を何様だと思ってるんだ、報告があるならここへ来てしろ!!」

  机の上の転送映像はあわただしく消えた。

  ドタドタと力のない足音が、それでも彼なりにフルスピードで廊下を走って来るのが聞こえた。蒼白な顔をしたシマダがドアから顔をだした。

 「調査官シマダ……」

  そこで肺が吸気を要求するらしく大きくひと息ついて、

 「ほ、報告に参りました。申しわけありません」

  局長はシマダのへり下った態度が気に入った。怒りが急速に治まって血圧が下がった。

  そうだ、こうでなくてはならない。やつらは負けたのだ。空間戦で身をもって自分たちの劣等性を証明したのだ。そう、完壁に敗北して無条件降服したのだ。

 「主犯の男の名はハーロック、元太陽系連邦艦隊、第二十五空間制圧突撃艦隊、第一艇隊指揮官、実戦歴二十年、対艦撃滅スコア、六二七八」

  局長はまた血圧が上がってドドメ色になった。

 「六せん二ひゃく七じゅー八っせきだと!!」

 「共犯……姓名不詳、所属不明、年齢不明……ハーロックも……年齢は不明……」

 「何もわからんということじゃないか!!」

  ドドメ色はいよいよ濃くなり、黒くなって来た。

 「も、もう一名の共犯は……つまり……」

  シヌノラのことは口に出しにくいらしく、シマダは口ごもった。

 「あの女なら私がよく知っている。なにしろ、ついこの間まで私の秘書をやってたからな!!」

  局長は空席になったままの彼女の机を見ながら低くうなった。低くうなっても、もともとこの種族、ハーロックにいわせればピンクのデベ族の声は地球人よりは何オクターブも高くて頭の てっぺんへ抜けるような感じがする。

  結局、わかりきっていることしかわからない報告に、局長は業(ゴウ)を煮(ニ)やした。引き出しの中のパラドクス拳銃で、頭を吹きとばしてやろうと考えたほどだ。

  ひたいに油汗を浮かべながらシマダはつづけた。

 「ひ、ひとつだけ確実なご報告ができます」

  このバカ何をとりつくろう気だ、と局長のうすい眉がビクリと震動した。シマダは気づいていて、ものすごい早口でまくしたてはじめた。頭をとばされてからだとしゃべれないのだから 当然である。

 「盗まれた駆逐動力艦はエンジントラブルを起こしているもので、燃料エネルギーもほとんど抜いてあり、したがってもうじき、いやいまごろはどこかでエンコしているはずだろろれてと(・・・・)」

  最後に舌がもつれた。局長の顔色がもとのピンクにもどったので、シマダはやっと舌をかまずにすんだ。


  もうここ二十四時間、艦内は不快音で満ちている。艦尾の震動は特にはげしく、床や壁に手をついていると血行障害を起こして白くなってしびれる。

 「あいつ、どこへ行った?」

  ハーロックは少しいらつきながらシヌノラに聞いた。

 「下層の船倉へ食べ物を探しに行ったわ、ハーロック」

  シヌノラは見れば見るほど、不思議な感じがした。デベ族の女にしては声はほどほどハスキーで、肌も度のすぎたピンクというわけでもない。双の目は黒く大きく、ブラウンのふちどりが 宝石のようにつややかに光っている。

  背の高さはハーロックと倉庫あさりに行った丸メガネの中間ぐらいだった。

 「動力室が割れると、おしまいだわ。もう停めないと」

  艦のコントロールをしているシヌノラのあせりにくらべると、ハーロックはいたってのんびりしている。

 「パウダー系の粒子流帯のしっぽまで行けないか?」

  見るとハーロックはハナ毛を抜きながら窓の外をのどかに見ている。ときどき、彼のピントが近くに合うのは、窓に映る己(オノレ)の顔の中から抜くべきハナ毛の位置を確認しているからだ。

 「よくご存じね、このへんのようすを。あと三分で粒子帯の尾にはいるわ」

 「そうしたら動力はなくとも、あそこへ行ける」

  ハーロックがどこのことをいっているのか、シヌノラにはよくわかった。粒子帯の流れてゆく方向には遊動惑星ハングリアがある。

 「あったよー」

  丸メガネが、かかえられるだけいっぱいの得体(エタイ)の知れない食料と果物を持ってもどって来た。ポケットというポケットからはソーセージ状のケバケバしい色の食品がハミ出し、 たれ下がっていた。

 「デベ族は趣味があんまりよくねえ、みんなこんな色をしてるんだ」

  この男はあまり上品な口はきかない。

  ハーロックはモノもいわず、ソーセージ状の食品をひったくるとかじった。

 「うま……」

  といいかけたとたん、するどい金属音が全艦をゆるがし、人工重力が乱れて、からだがふっとんだ。だから、うまいといおうとしたのか、うまくないと発声しようとしたのか、あとの二人には 永久にわからなかった。聞けば答えただろうが、ふたりともすぐに、そんな、ささいなことを聞くのは忘れてしまった。それどころではなくなったのだ。


  茶色の大砂塵(ダイサジン)がもうもうと舞い上っていた。あのクソいまいましいデベ族の船が、無理難題的不時着をして、地面にめり込んだせいではなかった。ここはこういう所なのだ。

  惑星ハングリア、たいていの人間……生き物どもがここへたどり着くあたりで、申し合わせたように腹ペコになってたどり着くので、だれいうともなく惑星ハングリアという名がついたのである。 遊動太陽が一日三十六時間の半分を照らしているので、地表は温暖である。大体地球上のニューヘブリデスか南鳥島あたりと同じだと思えば正解である。もっとも、いまはもうそんな島は 溶けて、海に沈んでしまって存在しないが……。

 「茶色くて何も見えん」

  すっかり茶色の砂ぼこりが付着してサングラスのようになってしまったテクタイトのメガネをベロでナメながらトシローはいった。

  この小さな男の名はトシローである。自分でそう名乗ったのである。大山敏郎、船の中でひと眠りしたあとのおめざめの直後、そう名乗ったのである。

  メガネをペロペロナメるから瞬間茶色がとれても、ツバですぐ砂ぼこりがくっついて前よりひどくなる。するとトシローはまたナメる。それが気になってハーロックは話しかけようとするが、 なかなか声が出ない。

 「この星の砂は甘えなー」ペロ。

 「あんまり砂をナメると糖尿病になるぞ、トチロー」

  とうとうハーロックは口をきいた。トシローの名を口にした。

 「発音がでけんのか。おれはトシローだよ」

 「だから……そのトチ……」

  どうもハーロックはこの名前がうまく発音できないのだ。

 「トチローじゃだめか?」

 「いいでしょう、トチロー」

  シヌノラも発音がしにくい……というより全くする気がないようで、二対一とあらばしかたがなかった。

 「トチローかあ、なんでもいいやあ、人まちがいさえしてくれなきゃなあ」

  トシローはふてくされた。以後彼はトチローとなった。二度とトシローとよぶ者は現れなかった。

 

  街はちゃんとあった。言葉をしゃべるモノどももうじゃうじゃいた。元来ここは騒々しい土地なのだ。騒々しすぎて死人もよく出る。街路じゅう、砂ぼこりで茶色で、通行人というか通行生物ども、 うろつく者がみんな茶色の砂だらけで、身なりがいいのやら悪いのやら、上等で上品なのか、下等で下品なのかさっぱり見当がつかない。

  とにかく三人は街の真ん中あたりの安宿にころがり込んだ。真ん中がなぜ安いかというと、ここでは両はじのほうが高いからだ。当然である。当然であるが困った問題がふたつ 持ちあがった。

 「金がない」

  ハーロックが憮然(ブゼン)としていった。

 「女といっしょじゃ困る。パンツ一枚にもなれん」

  トチロー(・・・・)がさもくつろげないというふうに、シヌノラを横目で見ながらいった。

  バスルームからゆげが漂(タダヨ)って来た。シヌノラの淡いピンクの肌がチラチラと見えかくれする。何しろこの部屋ときたら、バスルームのドアもないのだ!!

 「まあ、骨休めができるのはありがたいけど、金がないのがバレるとやばいぞ、トチロー」

 「なければ都合(ツゴウ)つけるのが金だぞよ」

  トチローはそういい残すと階下へ下りて行った。ここは宿屋の二階なのだ。

  ハーロックはスプリングのとび出したベッドに寝っころがると、天井を見た。

  羽のないゴキブリが七匹、シミで汚れた天井をはいまわっていたが、その中の一匹がポロリと天井でドジをふんで、ハーロックの顔の上へ落下して来た。

  ハーロックはパッと反転するとベッドからとび下りた。ゴキブリはむなしくベッドの上でハネた。

 「まだ運動神経はナマっとらんな」

  会心の笑みをもらしたハーロックは、残る六匹を見上げた。ひねりつぶすには天井が高すぎる。適当な棒きれもない。

 「シヌノラ」

 「はいると殺しますよ」

  冷静なシヌノラの声が返って来た。

 「ぬれたタオルをよこしてくれないか?」

 「すぐ出ますからどうぞ」

  シヌノラは先にバスルームを使ったことに少しうしろめたさを感じていた。特にハーロックのいた世界では、女が先にフロを使うのをきらうはずだ。トチローのほうの習慣は よくわからないけれど……。

  ハーロックはぬれたタオルをつかんで天井をにらんで立った。ベチャッ、一回目ははずれた。二回目からはタオルをほうりあげるたびに快調にタオルにくっついてゴキブリが落ちて来た。 青い目のゴキブリで、足のとてつもなく長いやつらだった。全部始末するのに二分とかからなかった。集めてみたが、金になりそうになかったので、窓からみんなすてた。

  もう一度、ベッドに仰向(アオム)けになると、ハーロックは少し真剣な顔になった。

 「ここはなにごともない……」

  そうだ、星間を荒れ狂った戦いも、勝利も敗北も、そんなものはハングリアとはなんの関係もない。ここは以前からハングリアだったし、これからもハングリアだ。それ以外の何ものでもない。 時の流れも、地球の破滅もここでは知ったことではないのだ。

  この天井はハーロックたちが命がけで空間を駆け回っているときも、ゴキブリの運動場になって、泊まり客の目を楽しませていたのだろう。

 「最後に生き残るのは、こういう星の住人だろうな」

 「たぶんね」

  バスルームから出たシヌノラが、いつの間にか窓のそばに来ていた。

 「ここは平和よ」

  ズシーン、シヌノラに答えるように、遠くで衝撃銃の銃声がした。ふとハーロックはトチローのことが気になったが、そう簡単にヘマはするまいと不安を打ち消した。

 「個人的なモメごとは、平和を乱したというのとは意味が違うわ」

  どうやらシヌノラにとってケンカぐらいは平和的な行為らしい。ありがたいことであるとハーロックは思う。この先、旅は長いかもしれないからだ。

 「これからどうするの?」

 「まかしとけ……」

 「どこへ行くの?」

 「まかしとけよ」

  ハーロックは確信に満ちた返事をしたが、頭の中も胸の中も実はからっぽだった。何しろついこの前すべての努力が無に帰したばかりだ。敗北、コロニーからの引揚者の輸送、帰還、脱出、 不時着、とめまぐるしく移り変って、やっといま、くさってもベッドとよべる代物(シロモノ)の上で、とにもかくにもタメ息などついていられる時間を得たばかり。先のことなどわけがわからないのも いたしかたあるまいと思う。

  眠れば、よい考えも浮かぶ。朝は夜よりも賢いのだと古人のいわく……。

  ハーロックは深い眠りに落ちた。シヌノラが異星の歌をうたうのをききながら……。


  ハーロックが眠ったのは、ほんの一秒か二秒にすぎなかったかもしれない。

  閃光(センコウ)が閉じたまぶたを通して赤く感じられた。するどいエネルギー弾道が安宿の壁を二十枚ばかり打ち抜いて裏手へ消えたのと同時に、ハーロックはベッドからころげ落ちた。

  ハーロックの手にはホルスターから引き抜いた空間竜騎兵拳銃(コスモドラグーン)が安全装置(セーフティ)をはずしてにぎられていた。窓ガラスに丸い穴があいて、周囲が溶解している。反対側の 壁にも同じサイズの穴があいて、そこは煙を上げて燃えていた。

 「シヌノラ」

  バスルームで水音がした。

 「お湯の中は安全です」

  シヌノラは容姿に似合わず敏捷(ビンショウ)だし、いざとなれば、行動も念入りなのがわかってハーロックは安心した。足手まといにはならないだろう、たぶん……。

 「どこから撃った? 見たかシヌノラ?」

  返事はなかった。しかたがないのでハーロックは首をのばして窓の下側のフチから通りを見ようとした。

  すさまじい音を立てて背後でドアが蹴破られるのがわかった。ふり向くひまはなかった。耳を、聾(ロウ)する轟音がしてエネルギー弾道が背中へ来た!!

  幸いなことに、相手はドアを蹴破るのに体力を消耗(ショウモウ)して、腰がふらついて狙いがはずれた。腰……そう七本の足が生(ハ)えた腰がふらついて、しかし、顔はこの世のものとも 思えないほど美しかった。天使の顔だった。上半身だけが、切なく迫って来たらハーロックもイチコロだったにちがいない。だがそいつはドアを蹴破ってはいって来てくれたのだ。

  ハーロックはふり向きざまドラグーンの引き金を引いた。そう、かつて習ったように。

  闇夜に霜(シモ)の降るごとく静かに……!!

  天使の顔が爆裂(バクレツ)し、七本の脚線美をつけた下半身がヒトデのようにハネ上がり宙を舞った。コバルトブルーの血が天井に吹き上がった。まるで蛇口を上に向けて思いきり ふき出したようなぐあいにだ。

  衝撃銃を手にしたそいつは死んだ。

  湯舟からシヌノラがはい出して来る音がする。彼女が返事をしなかったのはいち早く、こいつの接近を知って安全なお湯の中に沈んでかくれたからだ。

 「あなたの、腕前を信じてましたから」

 「そりゃありがたいけど、ひとことぐらいなんとかいってかくれてくれよ」

 「これからはそうするわ」

  いったい、この異星の女は、育ちがいいのか悪いのか、心優しいのか、エゴのかたまりなのかさっぱりわからない。

  ハーロックはまだ過熱しているそいつの銃をもぎ取った。

 「畜生め、これは地球のものだ。S&W(スミス・アンド・ウェッソン)の無反動衝撃レボルバーだよ」

  ハーロックは悟った。ここへ、この惑星ハングリアにハーロックたちの捜索指令が来たか、もしくは追跡者そのものが来たのだ。

  この七本足の天使はハングリアでやとわれた殺し屋にちがいあるまい。


 「トチロー」

  ハーロックはヤジ馬たちをわけて安宿をとび出した。さっきの衝撃銃の発射音……丸メガネがひたいをブチ抜かれているシーンが彼の脳裏に浮かんだ。

  トチローがどこへ行くかハーロックにはわかっていた。あの男の行きそうな所は、船の中でも、ここでも変りはない。人間の趣味というのは、場所を選ばない。食料品街へ走った。茶色の 砂ぼこりが舞い上がって、ハーロックの後方の情景をかくした。

  いや前方さえよく見えなかった。突然彼はいやというほど地面にたたきつけられた。

  何かにつまずいたのだ。少しぐにゃりとしたナマあたたかいもの……トチローが大の字にコロがっていた。なかなか堂に入った倒れ方の死体だった。

  死体が身動きもせずいう。

 「動くなよ」

 「やられたか?」

 「コホン」

  トチローがセキばらいをした。

 「おれはなかなか死なねえ……おいまて、立つな、じっとしてろ」

 「なんで?」

 「まわりにはヤジ馬もいるし……なんたってここのやつらときたら、それはそれは物見高いのよ、しらんのか」

  そういわれて見ると砂ぼこりの中を右往左往している人影というか、何やら、モノどもの影がうごめいている。

 「下手にぶっぱなすと、無辜(ムコ)の住民を殺傷するでな」

  ハーロックはトチローがなぜじっとコロがっているのか理解した。周囲は茶色の砂ぼこりだ。砂というより、茶色のパウダーといったほうがいい。こういうとき、よく物体を見極めようと する者は……俯瞰(フカン)する、地をはう砂ぼこり、上から……見下ろすはずだ。

  いた、右のスーパーのバルコニーにひとり……左の本屋のひさしの上にふたり。突きあたりのパン屋の屋根にひとり……七本足ではない、みな二足動物だ。おれたちによく似て いやがる……ハーロックは思った。

 「じっとしてろ。やつらはのび上がってよく確かめようとする」

  トチローの言葉は正確だった。ハーロックとトチローの同型のドラグーンが音の間隔がわからないほどの速さでエネルギーを三方面へまきちらした。

  赤い血が茶色のパウダーの風の中にしぶきを上げた。

  地球人だった。彼らは占領者の命によって編成された秘密捜査官……占領者のために、同族を狩り出す犬……。

 「同族に追われるなんてな……」

  ハーロックはつぶやきながらトチローを見た。茶色のパウダーでコーティングされてしまったメガネの奥で、小さな彼の目がしょぼしょぼとしばたたいているのがわかる。涙を浮かべて いるのだ。トチローは感じやすい男らしい。

  茶色の砂塵の中を向こうからシヌノラが髪を風になびかせながら来るのが見えた。

 「いまごろ来たぜ……あの女はよくわからないところがあるなあ」

  トチローはべつに気にするようすもない。

 「女は神秘的なところがあるほうがいい」


  暗殺者たちが身につけていた方向指示器は、みな正確に北のほうをさしている。

 「この針のふるえぐあいじゃ、五キロと離れてないな」

  ハーロックは目を細めた。これから襲う相手は近ければ近いほどいい。出会うまでに体力を使い果たしていては完全試合はおぼつかなくなる。

 「おれたちがズラかったんで宿屋のあるじ、怒り狂ってるだろうなあ」

  トチローが、しかし逃げおおせてほっとしたようなふぜいでシヌノラを見た。

 「私がちゃんと礼儀正しくあいさつをして出て来たから大丈夫ですよ」

 「ちゃんとことわって出て来た!?」

  ハーロックはあっけにとられて彼女の顔を見つめた。

 「私がどこの種族かわかったからでしょう。お金はいらないって……反対にめぐんでくれそうな感じだったわ」

 「感じだったわって……もらってくりゃいいのに、どうせ旅の恥はかきすて……」

  トチローが口をとんがらしていいかける目の前にシヌノラは、三人が一ヵ月食べられるくらいの無制限空間通貨の束を出して見せた。

 「かせげるときにかせぐ……先のわからない旅の場合はなおさら」

  シヌノラはトチローにウインクした。トチローは一瞬この女、おれが好きなのかなと思ったが、そうでもなさそうなので変な妄想はやめた。ハーロックはトチローの耳元に口をよせて声を ひそめてささやいた。

 「この女、ちゃんと心得てるぜ」

 「ちげェねェ」

  シヌノラのブレスレットが彼女の白いコスチュームの下で小さな警告音と刺激をあたえた。

 「北……六〇〇ベルス……金属反応」

 「六〇〇ベルス……メートル法に換算すると、三〇〇メートルか……そうだったな、トチロー」

 「忘れた」

  茶色のパウダーがもうもうと舞う中に船の影があった。

 「やつらが全員街へ出て、あのとき全滅していてくれてたらせわがないのにな……」

  ハーロックもさすがに次に起こるだろうめんどうな乱闘のことを考えると、うんざりした声を出した。

 「やばいぜ、あれは千人ぐらい乗れる大型船だ」

  トチローががっかりした声を出した。

 「ずいぶん大きな船をよこしたものね……」

  シヌノラも少し意外に思ったらしく、彼女としては例外的な高い声でしゃべった。

 「やめるか?」

  ハーロックはトチローの顔色を読もうとした。

 「あれをかっぱらうしか、ここから逃げる手だてはねえ。シヌノラに地元の宿屋がおべっかを使うようじゃ、ここも占領されてる地球と同じだと考えてもいい。なんでもいいからズラかるこった」

  しかし、トチローの声も自信に満ちているという感じではない。

  それはそうだ。近づけば近づくほど、船は絶望的に大きかった。外宇宙型の大型船なのだ。しかも……地球型の!!

 「あれは……」

  ハーロックは呆然とした。この船に見覚えがあったのだ。思い出したくもない最後の航海、コロニーから絶望に打ちひしがれた入植者を乗せて地球へ降りた輸送船……無念の思いで ブリッジの床に立ちつくした、あの船。着地に際して、感情のおもむくままに大地にたたきつけて破壊したと思った、あのみじめな地球の恒星間高速輸送船だったのだ。

  これに暗殺隊が乗って来たとすれば理由はふたつある。

 「よほど大勢の人間を送り込んで来たか……」

 「来たか?」

  トチローがいぶかしげに聞き返した。

 「地球人を信用しないので、このボロ船をあたえたか……だ」

  そうにちがいなかった。トチローもシヌノラも納得した。どちらにせよ、新しい主人に気に入られようとする犬どもがそれはそれで自分たちの将来をかけて乗って来たのだ。

 「千人いやがっても、みんなバラしてやる」

  トチローは珍しく逆上した。

  ハーロックも頭に血がのぼるのを感じる。

  熱い想いが胸の内にこみ上げて来るのがわかった。とめようがなかった。凶暴といわれようとなんといわれようと……。

  こいつらを……いま、船に乗って自分たちを追って来たやつらを守ろうとしてハーロックもトチローも、死線をくぐって来たのだ。多くの友が空間に肉塊となって砕け散ったのでは なかったのか。こいつらの未来のためを思い、よかれと、それだけを念じて!!

 「いくらおれが下品な人間でも、同じ地球人に追われる理由はないや」

  ハーロックも同感だった。シヌノラがなんと感じるか、それはいまは論外だ。ふたりは野獣と化した。

  野獣はムキ出した牙のやり場に困った。

 「生命反応がない!! この船はからっぽだ!!」

  ハーロックにとってもトチローにとっても、そしてシヌノラにとっても、それは意外なことだった。

  乗って来たのはあれだけだったらしい。七本足の美人殺し屋は現地調達としても、たったあれだけ、五人……!!

  追跡者たちも寂しかったにちがいない。巨大すぎる船は不気味で、少人数のときはとてもいやなものだ。ハーロックには経験がある。中央恒星区で、搭乗員の大部分を失って数人の 生存者だけで帰還したことが……六百五十万重量トンの高速装甲船は全区画が墓場だった。

  生存者の大部分が亡霊の幻覚に悩まされ、発狂者も出た。

  船内は少人数の飛行の跡が歴然としている。わずかの食料とわずかのエネルギー……。ブリッジ以外は死んだ船といっていい。

  ハーロックがたたきつけたときはいった亀裂も、修理もせずにそのままになっていた。外板がはがれかけて風にはためいている始末だ。

  それでもとにかく船には違いなかった。敵はいないし、考えようによっては、シヌノラにしかコントロールできない異星の異型船よりはなじみがあって、ハーロックにはあつかいやすい。航海に 必要な最小限度の部分はまだ生きているし、推進エネルギーも百万宇宙キロくらいの分量がある。

  茶色のパウダーの渦(ウズ)まく大気圏から、とるものもとりあえず船をもち上げた。

  外から見下ろす惑星ハングリアはやはり茶色の雲におおわれていた。


  粒子帯流に乗るときに船がいやな音を立ててきしんだ。ふたつにちぎれるのではないかという思いがハーロックの操船をソフトなものにした。船はがら空(ア)きだが、この前の航海のときより ハーロックの周囲にかぎっては、にぎやかでなごやかだ。この前はひとりだった。

 「トチローよ、ひとつ質問していいか?」

 「なんだ? この船に食いモノがあるかっていうなら聞くだけいやみだぜ。なんにもないよ、五人の残飯のほかはな……」

  食べ物の心配をひんぱんにする男だけに、トチローの表情は暗かった。

 「おまえな、あの茶色の砂けむりの中で、よく追っ手とハチ合せしたもんだな。……いやおれが聞きたいのはなぜ両方が互いに認識しあえたかという初歩的な疑問で……」

  トチローはバツの悪そうな顔をした。

 「いやな、金がないと宿代に困るし、無銭飲食はみっともないしな……つまり少しばかりかせごうと思ってな」

  トチローはホルスターからドラグーンを抜いてクルクル回してみせた。

 「ホールドアップか?」

  ハーロックはあっけにとられて二の句がつげなくなった。

 「金を出せ!! とね……そいつが敵だったとはね、全く死ぬかと思ったぜ」

  ハーロックは自分のことはタナに上げて、これは大変な組合せができたと思った。

  前途不明、行く先不明の三人だけのクルーの船出である。しかし、案外この三人の組合わせは、時と場合の使いわけによってはうまくいくのではないかとも感じる。ただひとつ困るのは 目的がないということだ。ハーロックの航海は常に何かをするためだった。断固たる目的があった。それがいまはない。三人の船には旗がないのだ。

 「旗か……航海してりゃそのうち何かできるさ」

  トチローは相変らずとぼけて、あまり前途を悲観しているようにも見えない。

  習慣によってハーロックは時間を十二時間区切りにわけて、夜と昼にした。当然昼の時間は動きまわり、夜の時間は安らかに眠るのだ。この約束ごとに順応できない体質の人間は 宇宙という果ても底もない海の航海者には向かない。体調をこわして野タレ死にするだけだ。

  三人については問題はなかった。もちろんシヌノラの習慣についてはよくわからない所もあったが、おおむね、テンポも趣味も合うし、多少神秘的な所はトチローのいいぐさではないが、 かえって良好なムードをかもし出すものらしい。三人は夜になると、その時間帯の間それそれの吊り床(ドコ)の中にもぐり込んで寝た。

  寝たときにそれは起こった。

  船は広く、特にブリッジ以外は全くの無人だった。亀裂のために与圧を失って、真空状態のキャビンや船倉もあるが、大部分はただからっぽというだけで、船のゆれにともなって、あちこち、 遠くや近くがあまり気持のよくない音をたてていた。

  船体後方の、灯(アカリ)の全くない区画では、エアコンも停止したまま、よどんだ空気の中でただ暗黒だけが各室をおおっている。

  そして……声が聞こえた……すすり泣く、か細い女の声が……遠く後方の暗やみの中から、延々と続く通路を通って、かすかだが、ブリッジの三人の耳にまでとどいた。

  シヌノラは、ハーロックやトチローよりずっと早くから気づいていたらしく、ブリッジ後部の丸窓から後方にまっすぐのびているメイン通路をじっと見ているが、通路ははるか先でぼんやりと 暗やみの中にとけこんでいる。その奥から、泣き声は聞こえる。レーザーアークを丸窓にかざしてみたが、それでも通路の果てまではとどかなくて、三人はおしだまったまま顔を 見合わせるだけだ。

  ハーロックは腰のホルスターとドラグーンのようすを確かめると立ち上がった。

 「しょうがない。行ってくらあ」

  後部のドアを開くと通路へ出た。

 「やめたほうがいいと思うがな。泣き声がしてたって、こっちが死ぬわけじゃなし」

  トチローは気乗りうすでハーロックを思いとどまらせようとするが、

 「幽霊じゃなくて、だれかいたとしたら、仲間がふえて旅が楽しくなる」

  どうもこの男は恐怖心をどこかの戦闘で失ってしまっているらしく、さほど気味悪そうな顔もせず、スタスタと通路の奥へ消えていった。

 「何か出たら逃げてこいよーーっ」

  トチローの大声がハーロックの消えた通路の奥へ反響しながら何重にもエコーを残して吸い込まれてゆく。

  その後、何も聞こえなくなった。すすり泣きもハーロックの足音も……。

 「あいつ、くわれたかなあ」

  シヌノラは何も答えない。この地球人を打ち負かした種族の女にしてはめったにないくらい感情を表に出して不安げに通路の奥に聞き耳を立てている。

  突然、それは全く突然、通路の奥から、暗やみのしじまを破ってつき抜けて来た。

  うなりとも咆哮(ホウコウ)ともつかぬ怪獣めいた声がブリッジにとどいた。目をこらす通路の彼方から、全速で疾走して来るハーロックの姿が目にはいった。彼の形相(ギョウソウ)はただごと ではなかった。何かが、何かが彼を追って彼の後ろからやって来るのだ。

  トチローはコスモドラグーンをかまえてみたが、ハーロックが邪魔になってその後ろから何が来るのかわからないし、狙いのつけようもなかった。ハーロックが走って来る。よほどのものが 来るにちがいない。ハーロックは何度かころんだ。走りつかれて足がもつれているのだ。彼が倒れたとき、はるか後方の通路で何かがチラッと動いたように……光ったものが動いたように 思えたが、すぐ立ち上がったハーロックの陰にかくれて見えなくなった。

  猛烈ないきおいでハーロックはブリッジへとび込んで来た。ドアをしめる間がなかった。彼のあとを追って、そいつもブリッジへとび込んで来た。灰色の影となってトチローの目の前を かすめた。足音など全くなかった。

  ハーロックは舵輪(ダリン)のむこう側へころがった。シヌノラは上段の吊り床にとび込んでチャックをしめてしまう。トチローはあまりのことに腰をぬかしかけた。実体のある敵になら、 役立つ勇気も、亡霊が相手では、なすすべもない。

 「は、ははははは……」

  トチローの笑い声がブリッジにひびきわたり、通路を奥へと流れていった。いかなる勇者でも、度を越えた恐怖に遭遇すると心を破壊されることがある。

  ハーロックは起き上がった……目の前に彼を追って来た亡霊がいた……。

 

  そいつは金色の目をしていた。四本のしなやかな手足と、牙とツメをもち、灰色と黒の毛皮をまとって、ついでにハナの両わきに対をなすりっぱなヒゲを生やしていた。

 「ナーゴ」

 「!!」

  ハーロックは情けなさそうな顔をしてトチローを見た。トチローは本気で笑っていた。

  勇名をはせた真の勇者が本気で逃げて来たのだ。だれにも背中を見せたことのない勇者が追われて逃走して来たのだ。

  小さなドラ猫に!?

  勇者も腰をぬかすことがあるのを証明して、この小さな密航者は仲間に加わった。地球産の純粋な雑種(・・)のドラネコであった。メスらしかったが、見せることを拒むので たしかめようがない。あのすすり泣きは、ネコの鳴き声がはるか通路の奥のさらに屈折した支線で反響に反響を重ねて、亡霊の声に化(バ)けて、ブリッジへとどいたものだったのだ。

 

  ひとり……いや一匹ふえて、にぎやかになったのもつかの間、ブリッジはすぐに静かになった。

  命名についてのいさかいで、三人ともフテ寝をしてしまったのである。したがってこの小さな密航者の名前はまだない。

  どうしてこの船に乗っていたのか、どこで生まれどこから来たのか、もちろん猫がしゃべるわけがないからわからない。女は神秘的なほうがよいとはトチローの言葉だが、メス猫についても 同じかもしれない。

  旗のない船が宇宙をゆく……。


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